« 同世代として | トップページ | 小堺氏その後 »

2004.07.30

音楽ひとりごと(4)合歓

合歓ポピュラーフェスティバル(ヤマハ主催)

ヤマハの主催する音楽祭といえば、世界歌謡祭やポプコンを思い浮かべる人が多いだろう。しかし、それ以前にプロの作曲家・作詞家が競う「合歓ポピュラーフェスティバル」というものが3年間開催された。1969年から71年のことだから、私の中学生活とちょうど重なる。

私は小さい頃から音楽を身近に感じながら育ったのだが、小学校の高学年にはGS(グループサウンズ)に随分傾倒した。いわゆる歌謡曲というものはおとなのものだったから、ビートルズのまねだとかどうだとかということとは関係なく、GSの音楽に親しみを感じた。当時のGSの音楽は、そのほとんどがプロの作曲家によって創られていた。そしてそれが「歌謡曲」ではあるけれど、もっと洋楽寄りの、メロディアスな和製ポップスだったのだ。今それを聴いてみると、歌唱はいわゆるアイドル(そのころはそうは言わなかったが)的な舌足らずなものだが、詩、曲、編曲の全てで優れたものが多い。ストリングスを多用したアレンジが私の好みになったのは、すでにこの頃からである。

さて、話を本題に戻すが、この合歓ポピュラーフェスティバルは、まさにその時代、日本の当時の若手〜中堅の作曲家・作詞家が、新しい音楽を創り出そうと競い合った音楽祭だったのだ。
傾向としてはカンツォーネ風、フォーク風、ロック風、などが多かったと思う。
第一回は、作曲グランプリが宮川泰(ひろし)[青空のゆくえ(伊東ゆかり)]と、中村八大(はちだい)[涙をこえて(シングアウト)]である。 どちらもそれまでの歌謡曲とは違う、胸をわくわくさせる楽曲だった。前者はカンツォーネ、後者は当時のアメリカのグループ「フィフス・ディメンション」のそれぞれコピーだと言ってしまえばそれまでだ。だが、間違いなく日本のポップスにとって、ひとつの転機だったと思う。(このほかにも、そうそうたる顔ぶれが並んでいた)

70年には雪村いづみの「涙」ほかがグランプリ、赤い鳥の「翼をください」は新人奨励賞と川上賞(作曲)を受賞。

そして71年には、あの「出発(たびたち)の歌」(上條恒彦と六文銭)がグランプリ、「窓に明かりがともる時」(赤い鳥)は参加作曲家賞。「君をのせて」(沢田研二のソロ・デビュー曲)は川上賞(作曲)を受賞している。

この年には世界歌謡祭が開かれ、「出発(たびたち)の歌」がまたまたグランプリを獲得した。

このほか印象に残っているのは服部克久作曲の「ハトのいる広場」(布施明)、山上路夫作詞・すぎやまこういち作曲「タンポポが舞う頃」(トワ・エ・モア)などがある。(どちらも70年・曲名はレコード化されて表記が少し変わっている)

ヤマハのHPの資料を見ると、レコード化されていない曲がかなりあるようだ。今また、聴いてみたい曲ばかりなのだが。

ヤマハの資料

|

« 同世代として | トップページ | 小堺氏その後 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/5646/1453201

この記事へのトラックバック一覧です: 音楽ひとりごと(4)合歓:

« 同世代として | トップページ | 小堺氏その後 »