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2004.08.04

十回目の夏

今年の夏は記録的な暑さだが、9年前の8月4日もとても暑かった。

忘れもしない。午前中、目白の仕事を終えて、日暮里に移動する車の中で弟から知らせを受けた。「すぐに病院へ来て下さい。」「仕事中なんだ。・・・それって、そういうこと?」「そういうことです。」

父が腺癌だと知らされたのは、わずかひと月前のことだった。その年の春にはボランティアで神戸にも出かけていた。そう、大地震のあった年だ。直前にはかつての教え子たちと、ペナン島へ旅行もしていた。元気だったが、妙に痩せてきていた。それでも、まさかそんなこととは思いもしなかった。検診でも見つからないたちのものだったらしい。

責任上、社員を日暮里に降ろし、すぐに帝京病院へ向かった。死に目には会えなかったが、せめて遠いところにいなくて良かった。兄は子供のキャンプで地方に行っていた。

病院へ着き、車を駐車場に入れるのももどかしく、救急へ駆け込んだ。そこには母が呆然としていた。「ごめんなさい。」母の言葉はどんな意味だったのか。突然のことに、なすすべもなかったことを詫びずにいられなかったのか。

待合室で、私は声をだして泣いた。霊安室に移ってからも涙は止まらなかった。もっと、父に会いに寄れば良かった。父はしばらく自宅で寝ていたのだ。こんなに早く逝ってしまうとは思わなかったのだ。どんどん衰えていく父の姿を見るのがつらくて、たまたま近くを車で通ったときも、寄る気にはならなかったのだ。ただただ、それを後悔した。享年68歳だった。

四十近い男が泣きながら、シャツの中を流れる汗を漠然と感じていた。
今年はそれから十回目の夏である。

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