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2004.10.26

音楽ひとりごと(13)山上・村井

山上路夫[作詞家]
村井邦彦[作曲家]

  この二人の名前は今まで度々このブログでも書かせてもらった。そして、このゴールデン・コンビの作品を数多く歌っているのが「赤い鳥」だ。「山本潤子」の回でも触れたが、彼女の透明感と温かみを併せ持つ歌声を、とても生かしている。

  そもそも、「赤い鳥」というグループは、関西のいくつかの大学で生まれたサークル活動の交流から徐々にできあがった。そして、ヤマハの「ライト・ミュージック・コンテスト(LMC)」に出場し、あの名曲「竹田の子守唄」(民謡)などを歌い、見事に優勝してしまった。(ちなみに準優勝はオフコース=当時はジ・オフ・コース)

  ちょうど村井邦彦はその頃、売れっ子作曲家でありながら、自ら原盤制作会社「アルファ・ミュージック」を立ち上げたばかりだったので、この優れたグループをプロとしてデビューさせようと奔走した。当の赤い鳥のメンバーたちは、プロになる気など全くなく、村井氏は海外レコーディングなどをセッティングするなどして、なんとかデビューさせることができた。

  当時のレコードジャケットを見ると、コロンビアや東芝(リバティ・レーベル)でありながら、すみの方に「AN ALFA RECORDING」のマークが見られる。これがアルファの制作である印だ。のちのユーミンや吉田美奈子の初期のレコードでも見ることができる。一時期、ちょうどコーラス・グループ「サーカス」の " ミスター・サマータイム " がヒットした頃は、アルファ・レコードという独立したレコード会社として存在したこともあった。

  デビューアルバムはコロンビアから出されたが、その後第二回合歓ポピュラー・フェスティバルに山上・村井両氏による「翼を下さい」で出場し、新人奨励賞と川上賞(作曲)を受賞したことは、「合歓」の回で書いた。さらにこの曲でこの年の世界歌謡祭(第一回のタイトルは東京国際歌謡音楽祭)にも出場し、「竹田の子守唄」とともにシングル・レコードを東芝から発売、本格的な活動を始めることになる。今や教科書にも載り、世代を超えて愛唱される名作である。私自身、高校の文化祭で全員で大合唱した、懐かしい想い出がある。

  話が回りくどくなってしまったが、この山上・村井コンビの作品はひとことで言えば「純」である。山上路夫氏の作品はどれもそうだが、日常のささいなことであったり、深い心情であったり、いろいろなテーマで書かれてはいるが、どれもまっすぐなことばで綴られている。そこにはどろどろしたものは感じられない。幸せであろうが、哀しみであろうが、心が洗われるような気持ちになるものばかりである。
  一方、村井邦彦氏の曲は、このまっすぐな言葉の詩を柔らかく心に染みこませるような美しいメロディが素晴らしい。辺見マリの「経験」などといういわゆる歌謡曲の作品も数多くあるが、山上氏との作品は洋楽寄りのあか抜けたものとなっている。

  ここで、私のお気に入りの山上・村井作品を挙げておきたい。
  ・翼を下さい・忘れていた朝・窓に明りがともる時・走馬燈・美しい星(以上、赤い鳥)
  ・胸のぬくもり(ハイ・ファイ・セット)
  ・青春のあやまち・ある日突然・恋人のなぎさ・二人だけの時間・愛を育てる=旭化成CM(以上、トワ・エ・モア)
  ・美しすぎて・一枚の楽譜(以上、ガロ)
  ・恋人・雨上がりのサンバ・二人の歴史・街を流れる川(以上、森山良子)
  ・朝に別れのほほえみを・廃墟の鳩(以上、ザ・タイガース)

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2004.10.25

NHK アーカイブス/小椋佳

  今放送中の「NHKアーカイブス」で、小椋佳の初コンサート・テレビ初出演の様子を取り上げているが、注目すべきは、コンサートのスタッフ(= レコーディング・スタッフ)が映っていることだ。おそらく、顔を見たことのある人はほとんどないであろう、アレンジャーの星勝氏(以前「音楽ひとりごと」で話題にした)のコンダクターとしての姿も見られた。HD レコーダーに予約録画中。地震情報で開始時刻がずれたが、なんとかなりそうだ。これはDVD にして残す価値がある。昔NHK-FM で放送したライブのカセットも、また聴いてみようと思う。

  小椋佳本人についても、近いうちに書くつもりである。

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2004.10.20

神戸物語(3)

  私がストリングス(弦楽器)フェチであることは、ここでも繰り返し書いてきた。暑い夏が終わり、iPod(携帯音楽プレーヤー)にもクラシックの小品を入れたりして、友人と話題にしたりしていたところだった。
  サロン・コンサートと聴いて弦楽四重奏などの少人数の室内楽を想像した。それでも充分嬉しかったのだが、演奏者が入場してきてその人数に驚き、しかも全員弦楽器であり、さらに指揮者が朝比奈千足氏と知り、私は興奮した。
  演奏が始まって少し冷静を取り戻し、楽器編成を見ると、第一バイオリン6名、第二バイオリン5名、ビオラ4名、チェロ3名、コントラバス2名の20人だった。大編成の迫力はないものの、身近で弦の擦れる音を聴くのは精神衛生上もとても良い気がする。(もちろん下手な演奏では逆効果である)

  曲目は、1曲ずつ丁寧に朝比奈氏が解説をして下さったのだが、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク第一楽章」、ボッケリーノ「弦楽五重奏曲」、レスピーギ「シチリアーナ」、チャイコフスキー「弦楽セレナーデからワルツ」、ブリテン「シンプル・シンフォニー」、アンコールとして・・・バッハ「G線上のアリア」、グリーグ「ホルベルク組曲第1番」の7曲だった。
  モーツァルトとバッハは子供の頃のCMで聞き慣れた曲であり、チャイコフスキーは高校時代にNHK交響楽団のプロムナード・コンサートで聴いてから好きになった曲(前述のiPod に入っている)である。あとは初めて聴く曲だったのだが、それはそれで新鮮だった。なかでもブリテンは朝比奈氏が「わかりやすい現代音楽」と紹介したとおり、ユニークだが難解ではなく、帰京してからすぐにCDを手に入れた。

  あっという間に夢のような時間は過ぎ、胸がいっぱいなまま、司祭にお礼を言って教会をあとにした。帰りの新幹線は自由席だったが、一時間待ちで指定席が取れた。駅前のホテルのロビーで、その冷めやらぬ興奮を伝えるために「Photolog」に投稿したりして時間をつぶし、18:34 ののぞみを待った。
  今回の旅行ではあまり写真は撮れなかったが、コンサートのお陰でとても想い出に残る旅行になった。のぞみのシートでは、余韻を楽しみうとうととしながら、頭の隅の方で翌日から始まる現実をふと思ったりしていた。

  もしも北野の異人館でじっくり時間をかけて見ていたら、ステーキ屋ですんなり栄光教会を教えられていたら、カトリック中央教会で道を聞いていなかったら、道を聞いた人が車で送ってくれなかったら、栄光教会が開いていて中で時間を過ごしていたら、ミカエルの司祭が親切な方でなかったら・・・等々、偶然か必然かは判らないが、絶妙のタイミングでコンサートの開演時刻に私をミカエルに導いてくれた見えない力と、お世話になった方々に感謝したいと思う。

  「ありがとうございます」

日本聖公会神戸教区のHP
今回の旅行の写真

(了)

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2004.10.17

神戸物語(2)

  そもそも、どうしてステーキ屋で「カトリック神戸中央教会」を教えられたのかは、車に乗せて下さった方に話を聞いてわかったのだが、同じような経緯と時期に再建され、中央教会のほうも完成し、再開の準備中だということだった。私が、「やっと再建された教会」という聞き方をしたために、店に近かったこちらがそうだと思ったらしい。

  栄光教会からようやくたどりついた聖ミカエル教会(日本聖公会)は、ちょうど「神戸フィルハーモニック・サロンコンサート」がはじまるところだった。私はそのとき、教会でよくある軽い音楽会だと思い、教会内にも入れればラッキーだな、と階段下でやさしく観客を迎える司祭に、ずうずうしく声をかけさせていただいた。

  「東京の練馬の聖公会から来たのですが、聴かせていただけますか」

  その方は上原信幸司祭で、最初は教会内の見学だけだと思われたらしく、私が聴きたいと言うと、意外だったようだ。司祭は快く受付に案内し、割引料金になるように紹介して下さった。

 教会に入ると、そこは歴史の重みを感じさせる聖堂だった。既に大勢の老若男女が座っていたが、私はずかずかと前から五番目くらいまで進み、座った。弦の擦れる音を久しぶりに身近に聴きたいと思ったからである。いただいたハガキ大の参加券を読むと、それは教会の催し物ではなく、神戸フィルとその後援会主催の、れっきとしたコンサートだということがわかった。

  そして開演時間になり登場した指揮者は、朝比奈千足(ちたる)氏ではないか! 言わずと知れた、故・朝比奈隆氏(大阪フィルの創始者)と瓜二つ(?)の子息で、自らも神戸フィルを長年育て、震災後も精力的な活動を続けられている日本の誇る指揮者のひとりである。私は理由もなく泣けてきてしまった。偶然の積み重ねでこの教会の席に今座っている自分の幸運に急に気が付いたからかも知れない。天国の私の父が「どうだ」と言っているような気がした。

  父は1995年の1月の大震災のあと、この神戸にボランティアで来ている。私が小学生時代に引きずり込んだボーイスカウト活動に、リーダーとして私以上にのめり込み、長年スタッフとして携わっていたが、その流れでその活動にも参加していたのだ。そのときの様子を父に聞く機会はなかった。その年の6月末頃に腺癌が発覚し、8月6日には亡くなってしまったのである。

  今回社員旅行に神戸を選んだのは、大した理由はなかった。湯布院が予約でいっぱいだったので、もう少し距離が近く、あまり行ったことがない関西・・・、とひらめき、友人に関西の温泉といえば?、と聞いたら「有馬」と答えが返ってきた、そんなことである。こうなると、そのひらめきさえも父の仕業かと思えてきた。

  朝比奈氏の挨拶と、わかりやすい解説のあとに始まった、弦楽器だけの20人による演奏は、それは素晴らしいものだった。

  (続く・・・)

神戸フィルのHP

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2004.10.14

神戸物語(1)

  連休を使った社員旅行の二日目。早々に解散して、新幹線に乗るまでの時間をフリータイムにした。

  恒例の教会巡りのために神戸市内へ出たところから話は始まる。観光客でごった返す北野の異人館街に辟易して、昼食を取ろうと三宮まで歩いた。せっかく神戸にきたのだから、と清水の舞台から飛び降りて、神戸牛ランチを奮発した。それはともかく、教会巡りのひとつ目にと考えていた「神戸栄光教会」の場所をウェイトレスに聞いた。

  実は前日の新幹線の中で見た電光掲示のニュースで、10年前の大震災で崩壊したその赤レンガ造りの教会が再建され、初めての礼拝が行われたことを知り、訪れたいと思ったのだが、まだ地図になかったのである。(聖公会=神戸聖ミカエル教会は県庁のすぐ隣りに載っていた)

  ウェイトレスはわからず、店内で何人かに聞いてもらったが、教会再建のニュースは意外にも知られていなかった。私の聞き方も悪く、北野の「カトリック神戸中央教会」を教えられ、北野坂へ戻った。しかしそこは白レンガ造りであった。

  落胆する私の前に、1台の車が庭から出てきた。運転者は作業服を着た、直感的に同業者かな、と思わせる雰囲気を持つ人だったので、思い切って聞いてみた。

  「赤レンガの教会を探しているのですが、ご存知ありませんか?」
  「ああ、栄光教会ですね。これからそちらの方向に行きますから、乗りませんか?」

  そんな言葉にあっさりと甘えて乗せてもらい、車内で話をしてみると、同業者ではなく聖職の方で、東京の上智大学と武蔵関の神学校に通ったことがあるという。武蔵関や大泉近辺のキャベツ畑を懐かしそうに話すその方に、今でもまだまだ多いですよ、などと答えながら、
  「実は私の教会は聖公会で、このあとこちらの聖公会にも寄ろうと思っているんですよ」
と言うと、栄光教会と聖公会の教会はすぐ近くだと教えてくれた。

  お礼を言って栄光教会前で車を降りると、前日は賑わっただろうその教会は人ひとりいなくて、鍵も閉まり、残念ながら中に入ることは出来なかった。仕方なく外観を撮って聖公会へ向かった。

  当日は日曜日ではなかったので当然の成り行きながら、聖公会も同じように閉まっているかも知れないという不安があった。ほどなくその神戸聖ミカエル教会に着いたが、ぞろぞろと人が入っていく。礼拝の時刻でもないし、なんだろうと思うと、「神戸フィルハーモニック・サロンコンサート」と看板が出ていた。

(続く・・・)

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2004.10.08

嫌いなもの(1)絶叫

  スポーツ・アナウンサーの絶叫

  サッカーや野球に多い、アナウンサーの絶叫。どうしてあんなにがならなければならないのだろう。興奮は大声でしか伝わらないと思っているのだろうか。つまりは語彙が貧弱なことを露呈しているだけなのではないのか。

  サッカー中継は特に見ないので、たまたまテレビに映ればチャンネルを変えることでことは済むが、野球は見たり聞いたりしたいときもあるので非常に困る。特にラジオは音声を聞く以外に方法はないのだからしょうがない。

  先日のイチロー新記録の実況は、絶叫なしに感動を届けてくれた。ところがその人はプロのアナウンサーではないそうだ。

  誰か、能のない絶叫アナをどこかへ連れて行ってくれ。

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2004.10.03

音楽ひとりごと(12)マーラー

  以前、「私のこだわり(5)」でオーケストラについて書いた。むさぼるように交響曲や管弦楽曲を聴いていた頃、大学の友人が一枚のレコードを貸してくれた。モノラル録音のマーラー交響曲第5番、巨匠ブルーノ・ワルター(*)の指揮による演奏だったと思う。「なんだモノラルか」と、当時オーディオに凝って、音質にも関心が高かったので、あまり嬉しくはなかったのだが、第4楽章を聴いて、唖然とした。

  当時のウブな若者だった私には、鼻血が出そうになるくらい、官能的だったのだ。管楽器は使わず、弦の音の重なりだけで重厚な響きが作られ、うねるように心の奥底に入り込んできた。まさに、めくるめく悩ましい世界だった。

  映画「ベニスに死す」でこの曲が使われていたということは、後で知った。(この映画は未だに見たことはない)

  その後ステレオ盤を手に入れて、さらにスケールの大きさを実感しつつ、マーラーの若き日の青春交響曲、第1番「巨人(タイタン)」も聴いた。こちらは判りやすいメロディーで、やはり素晴らしかった。が、しかし、それ以外の作品は、かなり難解で、ライブラリーには加わらなかった。

  秋の夕暮れ、またマーラーの禁断の世界(もういい年なので禁断も何もないが)に浸りたい今日この頃だ。

(*): 私の記憶ではフルト・ベングラーだったのだが、この組み合わせの演奏は残っていないのではないかとご指摘をいただいた。なにしろ根拠のない記憶だったので、格別な巨匠であったはず→フルトベングラーと、短絡的に決めてしまったところがあったようだ。ここでお詫びして訂正させていただく。

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イチロー

  私はこの騒ぎに乗じてにわかファンになるつもりもないが、イチローという選手は、やはり大した男だ。日本で、ではなく、アメリカの本場大リーグでの快挙には、多くの人に感動を与えたことだろう。また敬遠を重ねて妨害することもなく、敵味方の隔てなく祝福するアメリカ人気質や、何十年も破られなかった記録を持っていた米選手の遺族のイチローに対する好意的な姿勢も、心を打つものがある。(米選手が再び脚光を浴びる結果になっていたとしても)

  私はイチローや大リーグのファンでもないが、今日ラジオをイヤホンで聞きながら松屋で豚角煮丼を食べていたときに、この歴史的瞬間に出逢った。どんぶり飯をほおばりながら、泣きそうになってしまった。
  そのとき店内には私のほか、私より少し歳上の男性客がひとりだけだった。見るとその男性の耳にもイヤホンが。思わず目が合ってお互いにっこり。ほんの少し、平和な気分になれたひとときだった。

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