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2005.08.30

音楽ひとりごと(22)伊東ゆかりライブ

伊東ゆかり・ライブ

  私が三十数年レコードやCD を聴き続けてきた、伊東ゆかりという歌手の、生の歌声を初めて聴くチャンスに恵まれた。 小学生の頃からテレビ番組「ザ・ヒットパレード」などでその歌に馴染み、中学生の時の合歓ポピュラーフェスティバルのテレビ中継でノックアウトされて以来、レコードやCD は小遣いの許す限り、ほとんど欠かさず手に入れてきたのだが、コンサートやライブに出向くことは一度もなかった。 何故かと考えれば、レコードやCD こそが完成されたかたちであって、生のステージは、粗が目立ったり、バックの演奏が不充分だったりしたらがっかりするのではないかと頭の隅にあったからかも知れない。 また、若い頃は金がなかったし、大人になってからは時間がなかった。 コンサートに行くには、あらかじめチケットを予約しなければならない。 しかも、予約したからといって、その日に必ずスケジュールが合うとは限らない。 平日は特に、夜の予定は立てにくい。 そんなことで億劫になり、それならば、自分の家でテレビを見たり、レコードを聴いたりしていたほうが良い、という具合だった。 それが、今回はある人に強く勧められたこともあり、一日休みまで取って初体験することになったのだ。

  コンサート・ホールではなく、広めのライブハウスという規模のステージ。 歌手・伊東ゆかりと客席との距離が、近い。 初体験のくせに、いきなり近づき過ぎの状態だ。 三十数年、手の届かないところにいた人が、目の前にいるのだ。 しかし、違和感は全くなかった。 見慣れたお顔はテレビや写真で見てきたそのままであり、その歌声もしかり。 ところが・・・曲間のおしゃべりの言葉は、突然私個人に向けられた! 私の心は宙に浮いた・・・。

  この夏、私にとっては仕事の上で最悪の毎日だった。 ちょうど10年前に父を亡くした夏も辛かったが、それに匹敵するような苦しい夏だった。 予約はしたものの、一時は行けないか、行く気にならないかも知れないと覚悟していた。 ちっともめでたくない誕生日も過ぎ、給料日もなんとか乗り越え、この日はやってきた。 遅い、一日だけの夏休みだった。

  次々と歌われる聴き慣れた歌は、お世辞抜きで素晴らしかった。 CD で聴くような大編成のオーケストラでなく、ジャズ・クァルテットをバックにしてのステージだったが、心に染みた。 選曲も、新作CD から数曲、ジャズのスタンダード数曲、いつものステージの定番が数曲、というもので、安心して聴けるプログラムだった。 あまり広くない場内は、熱烈なファンで一杯で、そんな空気も、ステージを盛り立てたと思う。 そして、失礼な言い方かも知れないが、本当に歌のうまい人だと、あらためて思った。

  私は今回のライブで、自分でも驚くくらい、気持ちが癒された。 行って良かったと思った。 落ち込んだ心も、今ようやく落ち着きを取り戻そうとしている。 少し早いが、カレンダーを一枚めくった。 もう、秋の風景だ。

昨年7月の「伊東ゆかり」

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2005.08.22

クチナシのかおり

  未だ夏休みもなし。 昨日は一ヶ月ぶりの休日だった。 そんな最悪の状態(肉体的にも精神的にも)の私を慰めてくれるのが、時季はずれのクチナシのかおりだ。

  何故今頃クチナシなのか。 梅雨時に鉢植えにカビが発生し、たくさんついていた蕾はとうとう開かずに落ちた。 消毒をしたがなかなか元気にはなってくれなかった。 それがここにきて復活したのだ。 一度に幾つも咲くことはなく、ひとつずつ、花が終わるとまたひとつ、咲いてくれているのだ。

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2005.08.02

父の想い出(ボーイスカウト)

  我が家はある時期、ボーイスカウト活動にかなりディープに関わっていた。 少年合唱団も同じくらいの比重であったが、いつでも先陣を切るのはこの私だった。 一方で足を洗うのも私が一番だったが。

  私が小学校三年生の頃、少年雑誌などでボーイスカウト活動が話題になっていた。 まだ娯楽も少ない時代、「かっこいい」制服と、未知の世界に憧れていたのは兄も同じ。 年子の兄を持つ私はいつも引っ込み思案だったのだが、何故か江古田の教会の門を叩いたのは私だった。 キリスト教にも縁がなかったが、「団員募集」のポスターに、ただただ突撃したのだった。 父も母も、「入団したい」という私に、「本当に入りたいなら自分で話を聞いてきなさい」と突き放した。 しかし、消極的な私がまさか本当に実行に至り、その日のうちに司祭(牧師)とボーイスカウトのリーダーのひとりを自宅に連れて帰るとは思いもしなかったと思う。

  さて、そこから我が家とボーイスカウト及び教会とのおつきあいがはじまるわけだが、子どもたちを差し置いて、ずぶすぶとその両方にのめり込んだのは父だった。 もともと哲学が専門の教師だったので、宗教にも近いところにいたし、山登りが好きだったから、アウトドア活動にも近かった。 だから当然と言えば当然の成り行きだったのかも知れない。 あっという間にボーイ隊の隊長になったかと思ったら、母に相談も無しにキリスト教の洗礼を受けてしまった。

  そんな父と、隊長と一隊員という関係の時期があった。 当時父は40代前半だった。 ほかにもリーダーはたくさんいたが、みな立教大学の学生さんたちだった。 そんな中、今でも苦い想い出がひとつある。

  その頃、今では住宅で埋め尽くされてしまった感のある、西武池袋線の「仏子(ぶし)駅」付近はまさに「トトロ」の森さながらの自然に満ちた環境で、一泊キャンプでよく行ったものだった。 小川のほとりにテントを張り、夏の長期キャンプに備えて訓練をした。 そのキャンプも終わりに近づき、後片付けをしたあと、隊長である父から、班長である私にだめ出しがされた。 

 「それならそうと、最初に言ってくれればいいのに」

  公私を混同し、甘えが出たこの私の言葉に、回りのリーダーたちは失笑した。 私は「しまった」と思ったが後の祭り。 父に恥をかかせてしまった、と子供心に悔やんだ。

  今でも父の制服姿は目に浮かぶ。 生意気ないい方をすれば、私がきっかけとなって、父にかなりの生きがいをあげられたかな、とも思う。

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