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2005.08.02

父の想い出(ボーイスカウト)

  我が家はある時期、ボーイスカウト活動にかなりディープに関わっていた。 少年合唱団も同じくらいの比重であったが、いつでも先陣を切るのはこの私だった。 一方で足を洗うのも私が一番だったが。

  私が小学校三年生の頃、少年雑誌などでボーイスカウト活動が話題になっていた。 まだ娯楽も少ない時代、「かっこいい」制服と、未知の世界に憧れていたのは兄も同じ。 年子の兄を持つ私はいつも引っ込み思案だったのだが、何故か江古田の教会の門を叩いたのは私だった。 キリスト教にも縁がなかったが、「団員募集」のポスターに、ただただ突撃したのだった。 父も母も、「入団したい」という私に、「本当に入りたいなら自分で話を聞いてきなさい」と突き放した。 しかし、消極的な私がまさか本当に実行に至り、その日のうちに司祭(牧師)とボーイスカウトのリーダーのひとりを自宅に連れて帰るとは思いもしなかったと思う。

  さて、そこから我が家とボーイスカウト及び教会とのおつきあいがはじまるわけだが、子どもたちを差し置いて、ずぶすぶとその両方にのめり込んだのは父だった。 もともと哲学が専門の教師だったので、宗教にも近いところにいたし、山登りが好きだったから、アウトドア活動にも近かった。 だから当然と言えば当然の成り行きだったのかも知れない。 あっという間にボーイ隊の隊長になったかと思ったら、母に相談も無しにキリスト教の洗礼を受けてしまった。

  そんな父と、隊長と一隊員という関係の時期があった。 当時父は40代前半だった。 ほかにもリーダーはたくさんいたが、みな立教大学の学生さんたちだった。 そんな中、今でも苦い想い出がひとつある。

  その頃、今では住宅で埋め尽くされてしまった感のある、西武池袋線の「仏子(ぶし)駅」付近はまさに「トトロ」の森さながらの自然に満ちた環境で、一泊キャンプでよく行ったものだった。 小川のほとりにテントを張り、夏の長期キャンプに備えて訓練をした。 そのキャンプも終わりに近づき、後片付けをしたあと、隊長である父から、班長である私にだめ出しがされた。 

 「それならそうと、最初に言ってくれればいいのに」

  公私を混同し、甘えが出たこの私の言葉に、回りのリーダーたちは失笑した。 私は「しまった」と思ったが後の祭り。 父に恥をかかせてしまった、と子供心に悔やんだ。

  今でも父の制服姿は目に浮かぶ。 生意気ないい方をすれば、私がきっかけとなって、父にかなりの生きがいをあげられたかな、とも思う。

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コメント

昭和30年代から40年代頃、ボーイスカウトの制服は子供心を惹くものでした。近所の子供たちの制服姿は、確かにカッコよく普段よりまぶしく見えました。我が家では当時、地域の青少年野球チームのコーチ、監督に十数年間携わっていた父と、監督と選手の時期がありました。今想像するに、終日遅くまで働いて、日曜日早朝から子供たちとの交流は、好きなこととはいえ、かなりのバイタリティがなければ出来ないことでしょうね。母親の惜しみない協力もあったのだろうが...脱帽です。

投稿: 香祥 | 2005.08.06 17:57

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