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2005.12.31

私のPDA歴

 いよいよ私のもとにやってきた、スマートフォン(通話の出来るPDA)Willcom W-zero3。 それを機会に、今まで私が手にしたPDAについて書いておこうと思う。

 いわゆる電子手帳の走りで電話番号程度が入れられる「オートダイヤラー」をスタートとしたい。これは、携帯もなく、公衆電話以外移動中の連絡手段がなかった時代、登録した電話番号を呼び出して受話器の口の部分に当ててスイッチを押すと、「ぴぽぱぽ」とプッシュトーンが鳴って電話がかけられるというアイデアグッズだった。 その後、住所が入れられたり、辞書が付いたり、しばらくは「電子手帳」の時期が続いた。

 そして、PDAと呼べるものがやっと登場したのが 1993年の初代ザウルス(PI-3000 = シャープ)だ。 もちろん画面はモノクロ。まだ通信機能はなく、アドレス・スケジュール・メモなどの用途しかなかった。 その後、FAXが付き、パソコン通信ができるようになり、いよいよ通信アイテムとなるが、携帯電話はまだ普及前で、ISDN公衆電話にケーブルをさして遊んだことが懐かしい。 インターネットはまだ夜明け前だ。 インターネットブラウザ付きを買ったのは1999年「MI-P1」 私が使ったザウルスの最後は2000年の「MI-C1」である。一応カラー画面にはなったものの、今のものとはくらべものにならない。

 ここで限界を感じてザウルスから同じシャープのテリオスに乗り換えた。これは超小型ノートパソコンというスタイルのWindowsCE 機。 これは機能としては優れていたが、やはり気楽に持ち歩ける大きさではなく、かといって、やはり本当のパソコンと同機能というわけにはいかず、小型のVAIO を買ったときに手放した。 同時期ゼロハリ・デザインに惹かれてドコモのシグマリオンII も使ってみたが結果は同じだった。

 しばらくPDAのない時期があったが、ソニーからキーボードつきのクリエ(UX50) が出たときに一目惚れ。 ノートVAIO との相性も良いだろうということで購入し、今に至っている。 しかしブラウザでの文字の大きさを調整することがほとんどできず、老眼の進行と共に不便を感じるようになった。

 ここでひとつ思い出す苦い思い出は、ドコモのディアロ(Dialo)だ。 これはまさにスマートフォンなのだが(東芝製)、まったく使い物にならなかった。まだモノクロ・ザウルスを使っている時期で(1998)、同等の機能を期待していたのだが、すぐにフリーズしてしまい、イライラのしどうしだった。 当時はどこにも怒りをぶつけることも出来ず、泣き寝入りだった。(安く買ったのだが、当時の機種変更では変更前の電話機は取り上げられてしまい、気に入っていたちっちゃくて可愛い SH201 に未練もあった)sh201


← 当時としては画期的に小型だった Mova SH201
( iモードはまだない)

ちなみに携帯、PHS のたぐいも、ドッチーモSH821i、パルディオ611S、633S、FOMA SH900iと、無意識なのに、かなりシャープの製品にお世話になっていることに改めて気付いた。


  ↓ Dialo           dialo


当時の Dialo の記事

 あれから7年の月日を経て、ふたたびスマートフォンがやってきた。 今度はインターネットばりばりだ。 カラー画面はかなりきれいだ。 液晶のシャープ、ザウルスのシャープに、大いに期待してこれから付き合っていきたいと思う。 ちなみに現在の携帯・SH 901iS ももちろんシャープ。 どちらも画面は最高だが、カメラ性能がもっと進化することを願いたい。

W-zero3 ↓

w-zero3

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2005.12.21

風前の灯火

ドコモのPHSと、ソニーのPDA「クリエ」の話である。

  いよいよドコモはPHSから手を引こうとしているようだ。 FOMAへの乗換がなんと20,000円引きでできるというのだから。 しかし、FOMAの通信料は格段に高い。 ファミリー割引等で、多少は安くなるものの、不安は残る。 そうなるとPHSのもう一社であるDDIポケット改め「ウィルコム」への乗換も考えられる。

  一方、このところ、何をやってもうまくいかないソニーは、とっくにPDAを見捨て、周辺機器さえ入手しにくくなっている。

  この組み合わせで、現在は我がBBSへのいかがわしい書き込みに対応しているわけで、手放せないのだが、それに代わる存在になりそうなのがウィルコムの最新機種である。 PDAとPHSが合体した、シャープの会心作だ。 まだ品不足であまり出回っていないのが残念なのだが。

  ご親切にも、ウィルコムはドコモのPHSからの乗換を優遇し、長期契約割引のサービスを引き継いでくれるという。 ところが期限は年内。 この品薄の商品が年内に手に入らなければ、せっかくの親切は無駄になってしまう。 ウィルコムさん、商品が足りないのはそちらの事情なのだから、せめて期限を延長するとか、していただけないのだろうか。 親切ついでということで。 是非。

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2005.12.13

私のお気に入り(16) なまり亭

なまり亭 [テレビ番組]

  「Matthew's Best Hit TV」という、藤井隆扮するマシュー南の番組が深夜枠から晴れてゴールデン・アワーに進出してきた。 乙葉と結婚してさらに波に乗る彼は、吉本新喜劇で出てきた頃は過激なキャラクターで誤解もされたが、今ではすっかり自分のペースを掴み、伸び伸びとしているのが見ていて気持ちいい。

  さて、「なまり亭」はこの番組の目玉のコーナーである。 普段は共通語を話すタレントたちが、方言と戦う(?)企画である。 戦う、というのは、普通に話せる筈の共通語が、出身地の家族や友人と電話で話すと、方言を抑えられなくなる、という状態である。 これがとても楽しい。 方言を持たない私にとっては、なんとも羨ましいことである。 父母とも東北の家系だが岩手弁も秋田弁も分からない。 東京生まれだが、江戸弁も話せない。 そんな自分を少し残念に思う。 これで英語かフランス語でもべらべらしゃべれればまた違うのかも知れないが。

 なまり亭 HP

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2005.12.12

iPod でクリスマス

  急に思いついて、家にあるクリスマス・アルバムをかたっぱしからiPod にぶち込んでいる。 毎年お気に入りのカーペンターズのクリスマス・コレクション(これは凄い名作)ばかり聴いていたのだが、実は年ごとにショップで目に付いたクリスマスものを買ったりしても、聴く前にクリスマスが通り過ぎてしまったりして聴いていないものが結構ある。

  ずらっと並べると、ジュリー・アンドリュース、フランク・シナトラ、ジョン・デンバー、ソウル・グループのオムニバス、米CBSのオムニバス、それにカーペンターズは二枚組。 これに山下達郎・竹内まりや夫妻と八神純子を加えれば完璧だ。 これを「Christmas Songs」というプレイリストにひとまとめにして、それにユーミンの「ロッヂで待つクリスマス」などの既存の曲をプラスすれば出来上がり。 あとは、そのプレイリストでランダム(シャッフル)再生すれば、もうそこは白銀の世界! というわけだ。 過去にカセットやMDで自分だけのクリスマス・アルバムを作ったりしたものだが、これは今までにない、iPod ならではの楽しみ方だと思う。 曲によってはアルバム・ジャケットや歌詩までも表示してくれるようになっているのだ。

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2005.12.11

寒い一日でした

ひさしぶりに、軽く書き込もうかと。(^^)

 東京も、今日は真冬の天気だった。 北のほうから雪の便りも届いているのだから、当たり前なのだが、今日は外に出るだけで、震えがくるような気温だった。

 秋からだんだんと温度が下がるのを肌で感じるのがシャワーの水温。調節レバーの位置が、確実に動いている。 この水温、面白いもので、真夏でも大雨のあとは下がるのがわかるのだが、冬は風呂、洗面所、台所と、適温が違うので使いにくい。 我が家の給湯器が旧式であるせいだ。


 近頃、世の中にも憂うべき事件が多いが、私の「写真日記」をはじめ、いろいろな掲示板(BBS)にいかがわしい書き込みが特に目立つようになった。 金儲け目当てなのか、他人が困るのを喜んでいるのか、本当に腹立たしい。 自分のBBSに関しては、下手に反応したりすると相手の思う壺だから、ただひたすら削除を繰り返す毎日。 こころ安らぐ音楽を聴きながら、なんとか平常心を保っている状態だ。

 思いっきりカラオケを歌えたら、ストレス解消にもなるのだろうが、なかなか機会がないのが寂しい。(^^;)

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2005.12.08

音楽ひとりごと(25)HIT SONG MAKERS

HIT SONG MAKERS [テレビ番組]

  地上波でなく、BSデジタル放送(BSフジ)の番組である。 既に再放送なのだが、今回初めてこのシリーズを見て驚いたのは、その出演者だ。 今までほとんど写真でしか見たことのないような作曲家たちが次々と登場し、生の声で自分のキャリアについて語るという画期的な番組だ。

  最初は「筒美京平」。 その曲数の多さを物語り、この人だけは二週に渡って放送された。 続いて宮川泰、すぎやまこういち、村井邦彦、都倉俊一と続いた。 どの人も私が小中学生の頃から胸をときめかせた作曲家たちだ。 筒美京平と村井邦彦については何度か書いたので、今回はそのほかの三人について書こうと思う。

  宮川泰(ひろし)は、ザ・ピーナッツの一連のヒット曲で有名になったが、私との本格的な出会いはやはり、伊東ゆかりの「青空のゆくえ」だ。(この曲についてももう既に書いている) そして布施明の「海を見つめて」は東京音楽祭入賞曲だが、こちらも名曲。 フルオーケストラで再録音して欲しいと思い続けてもう、30年以上過ぎた。 当時の録音は、中途半端に電子楽器を使っていて、それだけが残念なところ。 沢田研二のソロデビュー曲「君をのせて」は、何故か当時としても録音が良くなかった。 チャゲ・アスのASKAもカバーしているが、現在の録音技術を駆使して、沢田の若い声だけを残し、録り直して欲しい。

  すぎやまこういちは「ドラクエ」で知っている人が多いと思うが、私はやはりザ・タイガースのヒット曲が印象に残る。 ビートルズの音楽とクラシックをうまく組み合わせた趣の曲作りが新鮮だった。 そしてトワ・エ・モアの山室英美子(現:白鳥)に「合歓ポピュラーフェスティバル」で歌わせた「タンポポ舞う頃」が一番のお気に入りだ。 あと忘れてならないのは東京音楽祭の最初のグランプリになった雪村いづみ「私は泣かない」。 この曲は最近ようやくCD化された。 どちらもコンクール向けの作品だが、名曲だ。

  都倉俊一は山口百恵やピンク・レディを育てたが、私にとってはペドロ&カプリシャスや麻生よう子に書いた映画の一シーンのような映像を彷彿とさせる「ジョニーへの伝言」「五番街のマリーへ」「逃避行」「午前零時の鐘」と言った曲が代表曲だ。 郷ひろみの「若さのカタルシス」も好きだった。

  番組はそのあと、宇崎・阿木夫妻、来生姉弟と続き、次回は「鈴木邦彦」。 まだまだ楽しみなシリーズである。


  余談だが、筒美京平の初期の代表作「ブルーライト・ヨコハマ」の出だしのメロディは、歌った歌手いしだあゆみによって変えられてしまったのを知っている人がどれだけいるだろう。 いしだは「・まちのあかりが」を「・ドドシシララミ」と歌っているが本来は「・ドドドドシラミ」だったのだ。 どうやらいしだが歌いやすいという理由で変えられたようだ。 その名残を間奏で聴くことができるので、是非確かめて欲しい。 今回の番組で、このエピソードに触れられなかったのが残念だった。

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  右のカテゴリーで「音楽」を選ぶと、これまでの記事がまとめて読めます。

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2005.12.04

映画ひとりごと(5)三丁目の夕日

ALWAYS 三丁目の夕日 [映画]

  話題の映画を見てきた。 前評判通り、良くできていて楽しかった。 昭和33年と言えば、私は二歳。覚えている訳もないし、我が家はもっと郊外だったから必ずしも子どもの時の記憶と重ならない。 力道山に夢中になったこともない。 それでも充分、懐かしさと温かさを感じることができた。

  相変わらず「ダメ男」を好演(?)する主演役者はともかく、まわりの登場人物がとても良かった。 妻子を空襲で亡くし、悲哀を背負った初老の医師が三浦友和というのは驚いたが、この人もこれからもっともっといい役者になるのではないかと思わせた。 小雪の好演には申し訳ないのだが、女装したココリコ田中の顔がちらついてしまったのは何故だろう。 薬師丸ひろ子もすっかりいいお母さんになっている。 そして、チョイ役の面々の豪華なこと。 大物ではないが、渋い役者が顔を揃えている。

  また、なにより子役の演技に好感をもった。 今時のこどもの生意気な様子を見ていると、少しも可愛いと思えないが、おとなが怖かった(おとなに威厳があった)時代には、こんな子どもがたくさんいた。 私もたぶん、その一人だったはずだ。

  日本の映画を劇場で見たのは久しぶりだ。 つい、懐かしさに惹かれて足を運んでしまった。 レンタルDVD を待つことはないと思った。 やはり50を目前にして、かなり思考が後ろ向きになっているせいかも知れない。 昨日は中学同期の忘年会だったから、潜在意識に子ども時代への強い思いが入り込んでいたのかも知れない。 今朝起きて、急にその気になったのだ。

  まだ見ていない人も、まずは公式ページで遊んでみて欲しい。 これだけでも結構楽しい。

ALWAYS 三丁目の夕日 公式HP

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