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2006.03.28

コンサートにはまる

 思えば、滅多にコンサートには出かけなかった。 知り合いが出るから、とか、必然で行くことはあったものの、自分でチケット購入して行くことはなかった。 それは仕事が不規則だから。 日曜だろうが祭日だろうが、仕事が入れば行かねばならない。 だからずっと先の予定を決めるのは億劫だった。 レコード(CD)聴いてればいいし、テレビ見てればいいや、と自分にいい聞かせていた。

 まず、きっかけは伊東ゆかり。 昨年の春にこの人のBBSが開設されて書き込んでいたら、会話がはずんでライブを強く勧められた。 そして8月のスイートベイジルに、仕事を休んで(代休)行き、生の伊東ゆかりを初体験。 何せ40年近く思い焦がれていた人だから、夢のようだった。

 次は、山本潤子。 この人も赤い鳥、ハイファイセット時代からの憧れの人。 伊東ゆかりはなかなかソロライブがないのに対して(今、例の三人娘で忙しい) 山本は精力的にソロやユニット、ジョイントなどのコンサートをしているので、秋にソロ、2月にフォーク・ユニット(SongForMemories)、そして今月再びソロ、と行くことができた。

 あとは、夏川りみ。 以前夏川りみのCDを買ったらプライベート・ライブやツアーのチケットが二年連続で当たった。 昨年末はそういう企画がなかったので、自分でチケット購入して中野サンプラザへ行った。

 さらに、元ボニージャックスの大町正人氏と現役ダークダックスの遠山一氏のジョイントコンサート。 実は秋の山本潤子コンサートのあと、横浜の街で大町氏親子とばったり遭遇して、このコンサートを知った。 大町夫人は私の合唱の恩師である。

 そして今回の宮川泰氏の訃報をきっかけに日本フィルを初体験。 今まで、NHK交響楽団や、東京都交響楽団は聴いたことがあったが、日本フィルはなかった。 この日本フィルが、池袋の東京芸術劇場でサンデーコンサートを続けていて、今回の宮川彬良(泰氏の長男)指揮の回も、そのひとつだったのだ。
 久しぶりに聴いた生のオーケストラに感動し、次の予約もしてしまった。

 さて、今後は4月に大町夫妻のジョイントコンサート、日本フィルのサンデーコンサートがある。 そして5月はまたまた東京芸術劇場での千住明のコンサート。 これは新日本フィル、千住真理子、羽田健太郎、白鳥英美子、という豪華なもの。

 まだまだはまり続けそう。 食費を切りつめねば。

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2006.03.22

追悼・宮川泰

 今朝のラジオでこの訃報を聞いた。 まだ75歳だそうだ。

 ここでも何度も話題にしたが、筒美京平、服部克久、すぎやまこういち、東海林修、などと並んで私の大好きな作曲家であった。

 私にとってはやはり「青空のゆくえ」が出会いの曲だが、そのあとで「ウナセラディ東京」や「銀色の道」もこの人の曲だと知った。

 ザ・ピーナッツのヒット曲や、「若いってすばらしい」なども耳に残る。

 そして「宇宙戦艦ヤマト」の音楽は、この人の才能の集大成とも言える傑作となった。

 是非、レコード会社やレーベルを超えたCDの大全集を作っていただきたい。 布施明の「再会の後に」も入れて欲しい。

 ゲバゲバ90分も聴きたい。

 ご冥福をお祈りします。

  HIT SONG MAKERS

追記

     折しも、26日日曜日に、長男彬良(あきら)氏の指揮で宮川作品のコンサートがある。 私もあわててチケット買った。 まさか、これが追悼コンサートになるなんて、思っていなかっただろう。

  日本フィル情報

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2006.03.19

和田アキ子「Mother」

 NHKの「家族で選ぶにっぽんの歌」を見た。

 オープニングの「また逢う日まで」は久々のフルオーケストラ版。 嬉しかった。

 そして、ラスト前の和田アキ子は圧巻だった。 実は昼間、ラジオでこの裏話を和田本人から聞いていたのだが、昨年末に母親を亡くした和田にとっては、大きなハードルだったはずだ。 司会の柴田理恵と伊東四朗の曲紹介は、番組を盛り上げるためとは言え、感情の高まりをさらに大きくするものだったのにも拘わらず、和田は耐え、最後まで見事に歌いきった。

 本当のことを言えば、最近の和田アキ子には少し失望していた。
 私は「涙の誓い」の和田のファンだった。 今では全く歌われることのない、マイナーな曲だが、「また逢う日まで」と同じ1971年のヒット曲(なかにし礼・川口真)である。 もちろん、翌年の名曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」(阿久悠・森田公一)も好きだが、紅白で何度も歌われた曲とは違う思い入れが「涙の誓い」にはある。

 私が失望していた理由は、最近のこの人の言動全般、特に度重なる禁煙の失敗だ。 喫煙は個人の自由として認められている国だが、プロの歌手として、考えるべきだ、と言いたくなるほど、最近の「ブルースの女王」は声が出ていない。 養毛のCM曲の声には、耳を塞ぎたくなる。 声を張っているときはいいのだが、余韻が残らず声がブツ切れだ。 年齢的なことも、もちろんあるとは思うが、それなら禁煙はなおさら必要なはずだ。

 なぜこんな生意気な苦言を、わざわざ個人のブログに書こうと思ったかというと、今日の「Mother」に感動したからである。 今日は涙をこらえ、絞り出すように歌ったことで、いつもより声が出ていたのかも知れない。 やはりこの人には、これからもいい歌を、いい声で歌ってもらいたい。

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2006.03.13

思い出のアルバム

 「いつのことだか 思い出してごらん」ではじまる卒園式の歌の定番である。
(作詞:増子 とし 作曲:本多鉄麿)

 もちろん、私の幼稚園時代の歌ではない。 先日、ラジオの番組でも、私と同年代の男性アナウンサーと、元バラドルタレントの会話で、「そんな歌知らない」「え〜? 有名だよ〜」というやりとりを聞き、懐かしく思い出した。

 私が懐かしいと思うのは、実は最初の職業が幼稚園教諭だったからである。 そして、この歌を卒園式で歌うと、教師も親も、ほぼ、全員泣くのだ。(子どもはまだ訳が分からない子もいて様々) 今では考えられないことだが、私はちゃんとピアノで伴奏しながら、子どもたちに教え、歌わせていたのだ。

 私が幼稚園という職場にいたのは四年間だけである。初年は見習いの副担任だったが、二年目からは担任になり、担当のクラスを卒園させたのは三年目の一度だけだ。 しかし、まだ男性教諭が珍しかったこともあって、担任以外の子どもたちともいろいろ関わりを持つことが多く、毎年感無量だった。

 そして自分が教師を卒業することになった最後の年は、誰よりも顔をぐしゃぐしゃにして、後ろ髪を引かれる思いでこの歌を歌ったのである。 あれからほぼ20年。 子どもたちもとっくに成人し、今でも年賀状やメールをくれる教え子もいる。

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2006.03.01

AMラジオがおもしろい

 テレビばかり見ていると、ラジオと接する時間が短くなるが、それでも車の運転中など、私はAM放送をよく聴く。 若い頃は音質の良い、横文字を多用するおしゃれなFM放送のほうが格上だと思っていたが、今となってはその薄っぺらさが鼻につく。 いや、私が年を取り、同世代や、それ以上の年齢のパーソナリティの語り口調のほうが安心して聴けるだけなのかも知れない。 特に聴くことが多いのは、ニッポン放送だ。 毎週土曜日早朝の塚越アナウンサーや、平日の毎朝、モリタクの相手をしている垣花アナウンサーが私には心地よい。

 先日は、黒柳徹子の特番も面白かった。 三時間があっという間だった。

 そして、先週の土曜日の夜、フリーになったばかりの福沢アナの番組にユーミンが出演するというので聴いていたら、その合間のリスナーとの電話でのやりとりがおかしかった。 育児の話の中に、「ケチャッピ」という単語が飛び出した。 文脈からしてそれは明らかに調味料の「ケチャップ」なのだが、私は単に若者言葉の類だと聞き流した。 しかし、福沢アナは食いついた。 なんと、その若い女性リスナーは、30年近い人生で、それを本当に「ケチャッピ」と信じて疑っていなかったようなのである。

 リスナーが言うには、我が家ではずっと「ケチャッピ」だった。 家族もそう言っていた。 「ケチャッピ」でないはずがない、と一歩も譲らないのだ。 私は運転しながら、大声で笑ってしまった。

 不思議なのは今まで誰も間違いを指摘しなかったのかということだ。 学校の友人や教師、そして結婚相手、おそらく私と同じで「ことばあそび」的な言い回しでわざとそう言っているのだと、あらためて指摘するのもはばかられたのではなかろうか。 百歩譲って、そういうことにしておこう。
 それでは、ケチャップのラベルは見なかったのだろうか。 どんなケチャップにも、メーカー名と製品名は書かれている筈だ。 そこを福沢が突っ込むと、外袋はすぐに捨ててしまうし、容器には何も書かれていない、と言う。 今まで数え切れないほどの外袋を破いて捨てただろうが、一度もそれを見ていないらしい。

 とにかく、おかしい話だ。 こんな他愛ないことも、AMラジオの面白いところなのだ。

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