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2008.09.11

2008年夏休み顛末記(3)

第2日目(8月14日)
 夜が明けて雨は上がりまずまずの天気。 本当は猛暑で疲れ切った身体を、今日一日は休ませようという計画だったのだが、こうなると昨日ほとんど撮影のチャンスがなかったこともあって、欲が出てきてしまう。 心に引っかかっていたのは、昨日峠越えをした後に霧の中でちらっと見かけた「鹿沢ゆり園入口」の看板。 近いし、ちょこっとなら行けるかと、結局出かけることに。 幸か不幸か天気は快晴に。 直射日光はかなりきつい。 しかし、写真ブログ等で報告したように、なかなかの眺め。 母も喜んでくれて、来て良かったなぁ、と単純に思ってしまった。 こういう人工的な場所での写真は、結局あまりいいものにはならないのだけれど、芳香と涼風に満足。
 さて昼食をどうしよう。 付近には食べるところはなく、昨年食べたピザ美味しかったな、と北軽井沢の店まで足をのばす。 浅間の噴火の影響か、スーパーが閉店するなどなんとなく寂れかけた北軽井沢に驚きながら、幸いにも店はまだあり、店の人にも温かく迎えていただき、昼食を楽しんだ。
 ちなみに何故群馬県の長野原町に北軽井沢という地名があるというと、明治・大正時代から終戦後しばらくまで、草津と軽井沢を結ぶ「草軽鉄道」という交通機関があり、軽井沢の北に位置するこの地に「北軽井沢駅」という駅があったことに由来する。 単に昨今よくあるような別荘を売らんがためにとってつけた地名ではないのだが、かなり誤解されている節がある。

       草軽鉄道の歴史  

 さて、ランチを食べながらの、母の何気ないひとことでちょうど帰り道にある「鎌原観音堂」へ寄ることに。 ここには、亡くなった父と兄家族、そして従妹とで、もう二十年近く前に行ったことがあると言うのだ。 観音様をお参りするということではなく、ここにはおよそニ百年前の浅間山の大噴火で土石流に埋まった嬬恋村の鎌原地区の歴史が残されていた。 わたしも少なからず興味があったので、迷いはなかった。 浅間山が噴火するとどうしても北側にその被害が大きく広がる傾向があるようだ。 有名な鬼押し出しもそのひとつだが、そういった事実に気づき、北軽井沢の別荘族が減り始めているという噂も、尤もらしく聞こえる。

 時刻を見るともう四時。 ホテルへ帰って一息ついたらもう夕食の時刻で、やはり身体を休めることにはならなかった。

 しかし、これは帰ってから聞いたことだが、実は「鹿沢」という土地には父に少なからぬ縁があったというのだ。
 私の父は終戦直前、陸軍士官学校61期だったのだが、同じく60期だった私の名親(私が洗礼を受けたときの後見人=子供時代からカブスカウトの隊長としてお世話になった方=北軽井沢に別荘をお持ちで毎年泊まらせていただいていたのに今年はその方の体調が良くなく断念→そのため今年は急遽ホテルに変更した)が北軽井沢で演習していた頃に、「(父のいた)61期が鹿沢に到着した」という報告を受けていた、というのだ。 これも不思議な巡り合わせだろうか。 鹿沢ゆり園へは必然があって行ったということだろうか。 ちなみにその名親の方は、終戦記念日を自分がいた北軽井沢で過ごすことをずっと守ってきた方なので、今年は相当がっかりしているようだ。 もちろん東京に帰宅後、無事の報告を電話して、その時に聞いた話だ。

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