2005.09.30

阪神優勝

  今年の阪神は強かった。 ファンにしても比較的安心して見ていられただろう。 そういう私は四半世紀、ヤクルト・ファンだ。 とにかく、引退後に若くして亡くなった「大杉勝男」選手のファンだった。 なんとも泥臭い、燻し銀のような選手だった。 ヤクルトに入る前は東映→日ハムにいたが、その頃パ・リーグの試合をテレビ中継することは少なく、全く知らなかった。 広岡監督のもと、優勝したとき、日本シリーズの対阪急戦で大杉の一発がホームランかファウルかでもめ、長時間試合が中断したのも懐かしい。

  話を戻して、セリーグの優勝が決まった一方、パリーグはこれから上位三チームのプレイオフだ。 昨年ペナント・レースで2位だった西武が、優勝してしまったのは愉快だったが、今年もそのチャンスはある。 それも20ゲーム以上差のある三位の位置でなのだ。 阪神VS西武のカードは実現するか、少し楽しみである。

  阪神の優勝を憎からず思うのは、四半世紀以上前は阪神ファンだったから。 江夏・田淵の時代で、私は藤田平のファンだった。 大学浪人中だったか、阪神があと一試合勝てば巨人を抑えて優勝、というところで負け、応援し疲れてしまったものだ。

  とにもかくにも、今日決まってくれて良かった。 明日はヤクルト戦なのだから。

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2004.09.14

私のお気に入り(5)大相撲

大相撲

  また大相撲が始まった。私の大相撲の歴史は、高校時代から始まる。時はまさに輪湖時代の幕開けである。輪湖と言えば、「輪島」と「北の湖(うみ)」のことだが、私は北の湖がまだ関脇の時代からのファンだった。といってもスピード出世だったから、あっという間に大関、横綱と駆け上り、そのほとんどは横綱・北の湖という存在だった。輪湖時代といえど、若い北の湖はその後、無敵の強さで独走するのだが、その風貌とあまり笑わないキャラクターも伴って、嫌われるのも日本一だった。しかし、私はあまのじゃく。出世前から注目していたことも自負としてあったが、嫌われれば嫌われるほど、応援したものだ。現在はもちろん、言うまでもなく、一代年寄「北の湖」親方であり、日本相撲協会の理事長である。

  そのほか、ひいきだった歴代の力士を挙げると、北の湖と同部屋の北天祐(この力士は五月人形に例えられるほど、均整の取れた力士だった)、地味だったが蔵王錦、早くして亡くなってしまったが大翔鳳、初々しかった琴錦(とんだ艶消しになってしまったが)、渋いところで鷲羽山、といったところか。

  若貴時代から興味が半減してしまったが、今なら当然「朝青龍」だ。そのほか、もっと頑張って欲しい力士は若の里。亡くなった伯父と「こいつは強くなるね」と話したことが今では大切な想い出なのである。

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2004.08.22

高校野球

駒大苫小牧 おめでとう

今年も夏の高校野球が終わった。オリンピック騒ぎに紛れて、陰が薄かったが、今日の決勝戦は見応えがあった。
打撃戦で、逆転また逆転のゲームだった。それだけに選手のみならず、監督も涙、涙のインタビューだった。

子供の頃は、当然ながら高校野球は歳のずっと上のお兄さんたちのスポーツだった訳だが、正直言うと、その感覚は自分が大学生になっても少し残っていたように思う。それには、自分の年齢に対する自覚がなかったためもあるだろうが、やはり選ばれた人たちのオーラのようなものが、彼らを大人に見せるのだろうと思う。

もちろん、自分が50にもうすぐ手が届く今となっては、そのような感覚はないが、最近では監督の人たちがちょうどそれと同じようなことになっている。つまり、優勝して泣きながらインタビューに答えていた駒大苫小牧の香田監督は、とても貫禄があるように見えるが、私より一回り以上若い32歳だそうだ。そう言われてみれば、泣き顔が可愛くも見える。

私は日付が変わると48歳になる。誕生日のメッセージ、プレゼントを既にいただいた。
みなさんにまたまた感謝。

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2004.08.18

アテネ・オリンピック

開会式

遅ればせながら、ビデオで開会式を見た。今回の開会式は夜という舞台装置を生かして、大変視覚的に美しいものになっていたと思う。照明の色彩や、古代と未来が融合したようなパレード、特に宙を舞う演出には、目を見張った。今までもロケットを背負って飛んだりということはあったが、なにより、優雅で格調高かった。

早くも日本勢の活躍には驚くほどだが、二週間の大会期間中、なにより平和に終わって欲しいと願う。

頑張れ、柳本ニッポン!

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2004.08.14

私のお気に入り(2)バレー・ボール

バレー・ボール

オリンピックが始まった。 オリンピックといえば、柔道・山下泰裕選手の涙の金メダルや、ベン・ジョンソンの金メダル剥奪など、印象深いものは数あれど、私にとっては、なんと言っても男女バレー・ボールの全盛時代である。

女子は日立黄金時代の白井・松田・江上・矢野・加藤・荒木田・金坂・飯田(ヤシカ)を擁するモントリオール・オリンピック・チームの全試合ストレート勝ちのぶっちぎり金メダル。松田の名セッターぶりに憧れた。
男子は準決勝・決勝とすれすれの逆点優勝で連日大興奮のミュンヘン・松平全日本。南・猫田・大古・嶋岡・横田・森田などのスター選手たちの中で、出番は少なかったものの、要所にベテランのいぶし銀わざで男気を見せた中村祐造キャプテンの大ファンだった。(その後の彼が率いる最強・新日鐵堺の名セッターだったのが、女子バレーの現・柳本監督だ)

しかし、忘れてならないのはやはり、東京オリンピックの「東洋の魔女」だ。私は小学校二年生だったが、今でもはっきり覚えている。家族五人(弟はまだ二歳だったが)で大騒ぎで見た白黒テレビの画面、だけではなく、気が付いてみたら母親がすっかり夢中になった結果、夕食を作るのを忘れていて、放送終了後みんなで大笑い、のひと巻だった。考えてみればそのとき、母はまだ31歳だったわけだ。

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