古地図
ずっと欲しかった本と出逢った。 昔の地図と言ってしまえばそれまでだが、二冊も買ってしまった。
一冊は江戸時代の江戸の町と現在の様子を対比できるような地図だ。 これは当然江戸の町の中心部に限られる。 板橋区や練馬区のような田舎は載っていない。 これは「大岡越前」のドラマを見るときに役に立つ。(もちろん越前は加藤剛だ/北大路欣也も悪くはないが/加藤越前は脇役陣が凄い) 小石川の伝通院やら療養所が、有楽町附近にあった南町奉行所から、かなりあるな、などと、今まで漠然としていた江戸の町中の距離感がわかる。
もう一冊は、私が生まれた昭和31年と現在の23区地図を見開きで対比できるものだ。 これが面白い。
まず興味深いのが町名の変化だ。 板橋区の小茂根は、小山町・茂呂町・根ノ上町が統合されてその頭文字を並べたのだということが思い出されたり、江古田駅は中野区の江古田からは少し距離があるのだが、駅の近くは練馬区江古田町(現在の旭丘)だったとか、かすかな記憶の甦りが楽しい。
知らなかったことは現在の光が丘に、東上線の上板橋から線路が分岐して延びていたこと。 光が丘は以前「成増飛行場」だったが米軍が住宅をつくり、「グラントハイツ」(グラント将軍の名前が由来であり、グランド、ではない)と呼ばれ、そこへ軍用の鉄道が敷かれていたのだ。 一時期は乗客も運んでいたというが34年には廃止されたらしい。
都営地下鉄ができるまでの長い間、陸の孤島と言われていたこの地域に、そんな鉄道がかつてあったなどと、全く知らなかった。 そしてその駅の名が「啓志」(現在の田柄高校付近)。 これはケーシー少佐から名付けられたというからおかしい。
あと、旧町名が惜しまれるものが多いと言うこと。 千代田区や中央区、新宿区などは、いたずらに住居表示を変えたりせず、伝統のある町名を大切にしていることがわかる。 一方、豊島区の雑司が谷や椎名町という町名が何故消されたのか、全く意味がわからない。 逆に板橋区は板橋町が広すぎたせいか、こまかく分けていろいろな町名が付け直されているのが面白い。 (もしかしたら、もっと昔に統合されたものを元に戻したなどという経緯があったのかも知れないが、この地図ではそこまではわからない)
また地図の合間に、30年代の出来事を読めるのも楽しい。 建設途中の東京タワーも見られる。
歳のせいだと言うなかれ。 私はこういうたぐいのものが、結構子供の頃から好きだったのだ。 しかしなかなか一冊の本で読めるのがなかった。 なにやら、巷でも今、密かなブームらしい。
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