2008.09.11

2008年夏休み顛末記(6)

第5日目(8月17日)
 いよいよ最後の日。 軽井沢の発祥の地、ショー記念礼拝堂での日曜礼拝に出席するため、3人で車で向かった。 年に一度、ここで礼拝に出席するようになってもう5年になる。 司祭とも顔なじみになって、歓迎していただいた。 帰路の無事と来年の再会を祈り、いよいよ軽井沢をあとにする時刻になった。 知人を山荘に送り届け、渋滞を気にして昼食も取らず一気に上信越道へ乗るが、またまたあっけないほどのスムーズな走りに、練馬まで休憩無しで着いてしまった。 しかも普通は松井田あたりで感じる気温差もなく、下界も嘘のように涼しかった。

 とにかく4泊5日、渋滞と雨を気味が悪いほどに避けることができたし、神様や出会った方たちに感謝がいっぱいの夏休みだった。 まだ写真の整理も終わっていないが、そのうちペンタックスのアルバムにアップしたい。

 旅行の写真はとりあえずこちらで↓ (ずっと下にスクロールしていただくと旅行中の写真ブログが見られます)

               フォトログ8月

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2008年夏休み顛末記(5)

第4日目(8月16日)
 夕べ山荘に到着する頃に降り出した雨は、朝になるとまた上がってくれていた。
 幸い頭痛も取れ、気分は悪くなかった。 今日は大事な日だ。 頑張らねばと起き上がった。 びしょ濡れになった衣服を洗濯機を借りて洗い、軒下に干した。

 早々に朝食を済ませ、今日からは3人でドライブだ。 佐久・小諸・東御経由で林道を走り一時間半ほどで美ヶ原高原美術館へ到着。 青い空と白い雲、涼しい風が気持ちがいい。 知人も初めてだととても喜んで下さって、高齢ながら屋外美術館の観覧に歩いた。 マツムシソウなどの秋の花を楽しみ、隣接する道の駅の食堂で昼食。 食後休憩していたら、天気が急変し、大粒の雨が降り出した。 車を走らせると同時にどしゃ降りになった。 しかしまだ山を登ってくる車があとを絶たない。 気の毒に、と思いながらも正直助かった。 夕方の四時からは軽井沢の大賀ホールでのコンサートがある。 急ぐ車に高速ワイパーでも視界を妨げる凄まじい雨が叩きつけるようになるが、強い日射しも同時に刺すという不安定な天気だった。

 しかしまた、軽井沢に到着する頃には上がり、濡れることなく無事に開演30分前にホールに到着。 以前テレビで良く見た、元NHK交響楽団のコンサートマスター、徳永二男(つぐお)さんのコンサートは初めてだったが、小さめのホールで身近に柔らかな音色を楽しむ。 アンコールを含めて一時間と少しのステージは心地よい余韻を残して終わった。

 近くの中国料理店へ移動中、またどしゃ降りになり、どういう訳か車を乗り降りするときは雨が小降りになるという幸運が相変わらず繰り返される。
 帰ると洗濯物はかなり濡れている。 扇風機もないので夜までに乾いてくれることを願うしかなかったが、なんとか助かった。

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2008年夏休み顛末記(4)

第3日目(8月15日)
 ホテルを10時にチェックアウトして、計画通りに小布施へ。 ここは聖公会の病院があり、併設された教会には小学校3年生の時にカブスカウトでキャンプ(野営ではなく舎営)に訪れた思い出がある。 詳細はおぼろげながら、入院患者に歌を聞かせたり、牧師館の小さな風呂を借りたり、小布施という地名には確かな記憶がある。

 ちょうど小布施の町に着いたのが昼少し前だった。 先に食事しようか、と話していた矢先、真っ先に目に入った「新生病院」の案内板。 まさに神に導かれるように(?)矢印の方向へ曲がり、間もなく着いた、蔦の絡まる由緒ある礼拝堂の前で、ちょうど司祭さんが入るところに遭遇。 ご挨拶すると今日は終戦記念日で、正午から平和の祈りを捧げるということで、日曜日でもないのに礼拝堂でお祈りに参加させていただいた。 さらにその司祭は東京教区でも使っている聖歌集の編纂に拘わった方で、作者の名前で見たこともあるお名前だった。 また親戚の方が日本フィル協会合唱団に所属しているということもわかり、話がはずんだ。 10年以上前に一度この地を訪ねたことがあり、宿泊した建物などはもうないのも分かっていたので、記念撮影をして教会を後にした。 神に感謝。

 小布施の町は栗と文化人の足跡が有名なところ。 美術館を見て、栗のお菓子を土産に買い、信州蕎麦に舌鼓を打ち、いよいよ軽井沢へ向かった。

 一年ぶりの追分の山荘は変わりなく、知人と再会を喜び、楽しい話に時間を忘れた。 しかし寝室は湿度が高く、風呂上がりの汗がなかなか引かない。 うちわで扇ぎ続けていたら頭が痛くなった。 嫌な予感だ。 熱が出たようだ。 水分をとれば汗をかくし、ふとんや毛布もかけられない。 それでも無理して掛けて寝たら夜中にもの凄い汗で目が覚めた。 予備のパジャマに着替えてもすぐに濡れる。 最後はTシャツで凌がなくてはならなかった。

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2008年夏休み顛末記(3)

第2日目(8月14日)
 夜が明けて雨は上がりまずまずの天気。 本当は猛暑で疲れ切った身体を、今日一日は休ませようという計画だったのだが、こうなると昨日ほとんど撮影のチャンスがなかったこともあって、欲が出てきてしまう。 心に引っかかっていたのは、昨日峠越えをした後に霧の中でちらっと見かけた「鹿沢ゆり園入口」の看板。 近いし、ちょこっとなら行けるかと、結局出かけることに。 幸か不幸か天気は快晴に。 直射日光はかなりきつい。 しかし、写真ブログ等で報告したように、なかなかの眺め。 母も喜んでくれて、来て良かったなぁ、と単純に思ってしまった。 こういう人工的な場所での写真は、結局あまりいいものにはならないのだけれど、芳香と涼風に満足。
 さて昼食をどうしよう。 付近には食べるところはなく、昨年食べたピザ美味しかったな、と北軽井沢の店まで足をのばす。 浅間の噴火の影響か、スーパーが閉店するなどなんとなく寂れかけた北軽井沢に驚きながら、幸いにも店はまだあり、店の人にも温かく迎えていただき、昼食を楽しんだ。
 ちなみに何故群馬県の長野原町に北軽井沢という地名があるというと、明治・大正時代から終戦後しばらくまで、草津と軽井沢を結ぶ「草軽鉄道」という交通機関があり、軽井沢の北に位置するこの地に「北軽井沢駅」という駅があったことに由来する。 単に昨今よくあるような別荘を売らんがためにとってつけた地名ではないのだが、かなり誤解されている節がある。

       草軽鉄道の歴史  

 さて、ランチを食べながらの、母の何気ないひとことでちょうど帰り道にある「鎌原観音堂」へ寄ることに。 ここには、亡くなった父と兄家族、そして従妹とで、もう二十年近く前に行ったことがあると言うのだ。 観音様をお参りするということではなく、ここにはおよそニ百年前の浅間山の大噴火で土石流に埋まった嬬恋村の鎌原地区の歴史が残されていた。 わたしも少なからず興味があったので、迷いはなかった。 浅間山が噴火するとどうしても北側にその被害が大きく広がる傾向があるようだ。 有名な鬼押し出しもそのひとつだが、そういった事実に気づき、北軽井沢の別荘族が減り始めているという噂も、尤もらしく聞こえる。

 時刻を見るともう四時。 ホテルへ帰って一息ついたらもう夕食の時刻で、やはり身体を休めることにはならなかった。

 しかし、これは帰ってから聞いたことだが、実は「鹿沢」という土地には父に少なからぬ縁があったというのだ。
 私の父は終戦直前、陸軍士官学校61期だったのだが、同じく60期だった私の名親(私が洗礼を受けたときの後見人=子供時代からカブスカウトの隊長としてお世話になった方=北軽井沢に別荘をお持ちで毎年泊まらせていただいていたのに今年はその方の体調が良くなく断念→そのため今年は急遽ホテルに変更した)が北軽井沢で演習していた頃に、「(父のいた)61期が鹿沢に到着した」という報告を受けていた、というのだ。 これも不思議な巡り合わせだろうか。 鹿沢ゆり園へは必然があって行ったということだろうか。 ちなみにその名親の方は、終戦記念日を自分がいた北軽井沢で過ごすことをずっと守ってきた方なので、今年は相当がっかりしているようだ。 もちろん東京に帰宅後、無事の報告を電話して、その時に聞いた話だ。

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2008年夏休み顛末記(2)

第1日目(8月13日)
 午前中旅支度。 11時自宅出発。 天気はまずまずだが、予報は決して良くなかった。 母を実家で乗せて環七を南下し、方南通りの夢庵で昼食。 関越よりも中央道のほうが渋滞が軽そうだったので永福町から首都高に乗るルートを選んだ。 恐る恐る入口の電光掲示板を見ると何も表示がない。 半信半疑で入ると掲示板の故障でもなく、実際嘘のように快調に走ることができた。 何度かトイレ休憩を取りながら須玉インターで一般道へ。 ここから清里を通る佐久甲州街道を北上すれば最短距離だが、観光地の渋滞を避けて増富ラジウムラインへ。 ここで増富温泉の看板に母が反応した。 母の結婚直前の話だから55年も前の話だが、母の兄(故人)が何かの事故で骨折して、リハビリに来ていたところを、母親と見舞いに来たことがあるというのだ。 こんな山奥まで、どうやって辿り着いたのか、記憶はないと言う。 年老いた母の、思わぬ若き日のエピソードだ。
 塩川ダムで休憩を取り、清里を避けたかたちで佐久甲州街道へ戻り、ここでホテルに電話を入れた。 夕食のリミットは七時半。 ナビの到着予測はギリギリの時刻を表示していた。 「間に合わないなら夕食は済ませてきてくれ」という冷たい対応に驚きながら、とにかく急いで向かうことにした。 佐久で雷雨が始まった。 これから峠越えだ。 時間と天候が少し私を焦らせた。
 結局トラブルはなく、快調な走行にナビも次第に到着時刻を繰り上げて行った。 それでもホテルは記憶よりずっと遠く、小雨と霧の中、七時をほんの少し過ぎた頃に無事到着し、荷物も運ばずに食堂へ直行した。
 料金の安いバイキング料理を選んでいたのだが、その貧弱なメニューにがっかり。 「ホテルの夕食」ということで期待が大きかったせいもあるかも知れない。 客層を見ても老若男女、完璧なファミリー対象であり、合宿所の食堂のようなものだった。 しかし食べてみるとこれが意外においしい。 素材は新鮮だし、見た目は悪いが手を抜いた料理ではなかった。 メニューにうるさい母も、今回はこれで充分と納得してくれたので、私も胸を撫でおろした。(母がこだわるのは贅沢ではなく、少食ゆえに油分過多や野菜不足を嫌うためである、念のため)

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2008年夏休み顛末記(1)

 今年は各現場が揃って13日から17日までが休みと判明。 よくある盆休み期間中限定の改修工事も今年はなく、我が社の休みも世間一般の盆休みそのままの日程となった。 そうなると予想されるのがどこもかしこも混雑すること、宿が取りにくいこと、取れても割高なこと。 しかも当てにしていた北軽井沢のお宅は家主の体調が悪く、今年は泊めていただくのが不可能になった。 慌てて宿探しをしたのが7月24日のことである。 もう3週間前を過ぎていた。 とにかくこの猛暑の東京から逃げ出したい。 昨年お世話になったキリスト教関係のキャンプ場は、やはり予約でいっぱいだった。 日にちを前後にずらせば空いていると言われたが、仕方がない。 特に今年は時節柄遠出を控えて軽井沢あたりを旅行先に選ぶ人が多いという報道もあり、簡単には見つかりそうもない。
 そこで何年か前に泊まったことがある、嬬恋の四阿山(あずまやさん)中腹のスキー場にあるホテルのホームページで予約情報を検索すると、13日からまだ部屋があった。 16日は信濃追分の知人宅にお世話になることが決まっていたので、3泊を即予約したものの、当然料金は割高である。 その知人というのは母の教会関係の古い友人だが、大学教授の未亡人で87歳という高齢の方。 最近は滅多に他人を泊めることはないが、私たちならば次の日の日曜礼拝の為に泊めて下さると言っていただいたのだ。 何しろご高齢で、ご自分のことはなんとかできるが、あまり世話を焼かせては申し訳ない。

 次は旅行中のプラン。 日程的に余裕があったので何かお楽しみをと思い、今度は大賀ホールのホームページで予定を見ると、16日と17日、それぞれ一時間ほどのステージだがひとり1700円という金額で聴ける公演があった。 しかも、16日の最後は元N響コンサートマスターの徳永二男(つぐお)さん。 これもチケットぴあで3人分即購入。 インターネットで申し込み、受取はファミリーマートでできるのだから、便利な世の中である。
 連れがいる場合、風景の撮影はあまり期待できない。 思うままに天気待ちや光り待ちはできないし、何より母の場合、食事やトイレの心配がある。 1人ならコンビニで食料を買い込んで現地で適当に済ますということができるが、そうはいかない。 がたがたの林道をかっ飛ばすなんてこともできない。 観光タクシーのようなものだ。
 別に望まれたわけではないが、どうせなら少しでも喜んでもらえるコースを選ぼうと地図を見ながらあれこれ考えた。

 初日は夕食までにホテルへ着けばいいのだから、八ヶ岳にいる知人(この方も教会関係)を訪ねようか。 白樺湖にあるゆり園が見頃らしい、などと少しずつプランは固まっていったが、正直この休み前の東京の暑さには疲れ果てていた。 せっかくホテルが取れたのだから、2日目は休養に充てようと思った。 3日目は四阿山の裏側、小布施(おぶせ)の思い出の教会へ行こう。 4日目は昼過ぎに信濃追分に行って夕方大賀ホールへ。
 そう考えているうちに、去年追分の知人がどこか花のきれいなところへドライブに行きたいと言っていたことを思い出した。

 そこで追分からほど近い美ヶ原高原へのドライブを提案し、そのために追分宅に二泊させていただくことに。 これでホテル代も一泊助かるので一石二鳥だ。

 いよいよ明日から休みという日、早仕舞いをしたかったのだが結局夕方ギリギリまで作業が延びてしまった。 まだろくに旅行の準備もしていない。 高速道路の渋滞情報は明日午前中のピークを繰り返し報道していた。 母からも微熱があるというメール。 夜になって翌日の出発を昼頃に遅らせることを決定。 今までしたことがなかったが、この時差作戦が功を奏した。 これも四泊という余裕のある日程だからこそできたことだ。

 次回から日ごとの顛末を連続で投稿するので、フォトログの写真と合わせて見ていただきたい。
    
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  フォトログ8月
   

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